それも当たり前になるのさ、とその人は言った

2009年3月17日


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・・・私がその作家から見せられたものは、立体作品・・・オブジェ・・
オブジェというよりも、もっと美術工芸作品的な技巧的完成度があるもの、
しかし、それは道具とも呼べない、説明のつかない物体でした。

それは、全く新しいものでした。

しかし、それは懐かしいものでした。

私は、その作品に戸惑いました。
とても不思議なものだったからです。

私は、真に新鮮なものに触れた時の独特の刷新感のある喜び、ざわめきの
ない高揚感、そして、どんな思い出話よりも懐かしい感じを持つそれを
目の前にして、また、触れ、言葉を失い、黙り込んでしまいました。

どれだけ実際の時間が経ったのか私には分りませんが、その作家が口を
開きました。

“観た事がないのに、懐かしいもの・・・”

私は作家の声で我に返り、答えました。

“そう、その通りです。私はこの作品から、そう感じました”

“無時間”

とだけ、作家は言いました。

“無時間?”

“そう・・・全く新しいのに、みんな知っているもの”

“・・・・”

“古くて新しいもの、そして今、それが目の前にある”

“無時間・・・です”

私は答えました。

私が目の前にしているもの、それは正に“今”触れているもの、それは
何度見直しても新鮮で、“記憶ではない懐かしさ”を持っている。

“無時間・・・”

私は、もう一度つぶやきました。

それから、その作家は小さくため息をついて言いました。

“しかし、それも当たり前になるのさ”

“は?”

“それが当たり前になるのさ”

“何故ですか?”

“当たり前に存在するものだからさ”

“そうは思いませんが・・・”

“時間から自由になったもの、それは、触れれば即座にそれが当たり前になる、
それだけ浸透力が強いんだ。それは時間から自由だから、その理解に時間は
いらない・・・それを受け止める人が抵抗しようが、素直に受け入れようが
そんなことはおかまい無しにそれは即座に内部に進入し、動き始める。
だからそれを元から知っているように人は思う。
当たり前にしか感じられないのさ。

で、無時間に到達すると、それを産み出した「個人は消失」するんだよ。
また、個人がいなくなった時に、無時間のものが産まれるとも言える・・・

だから・・・だれもそれをつくった人間が誰かなんて興味を持たないのさ。
みんな当たり前に水を飲むのに、誰が井戸を掘ったかなんて、興味を
持たないのさ・・・”

作家は少しだけ、悲しそうに、つぶやくように言いました。
実際に、その作家は作品は広く知られているのに、不思議とその作家本人は
その作品の知名度ほどには報われていないようでした。

私は、作品を眼の前にし、作家の話を聞いていると、突然、その意味を
“感じました”。

そして、

まるで自然に存在する花のような、人間にはつくれないような存在を
産み出してしまう特殊な人、独特の孤独に私は飲み込まれそうになりました。

私は言葉にも態度にも示せずに、ただ黙っていました。

“自然に咲く花の美しさにどんなに癒され、救われても、人はそれを当たり前に
思うだろう。花はみんなが知っているもので、ただそこにあるから。
しかし、まるで本物のような花をつくり出したとしたら、その「人」は賞賛される
だろう。「真」ではなく、周辺にあるものの方、それは「それらしいもの」、それが
人が「真」だと思っているものさ。いや、思い込みたいものかな。
しかし、実際には「それらしいもの」に救われることはなく「真」に救われている。
しかし、人は「真」をありがたがることはない・・・
そんなことは昔から言われていることだけどね・・・”

作家は言いました。

私は益々何も言えなくなってしまいました。
しかし、私は、その飲み込まれそうな深淵さ、生と絶望と美しさと・・・
言葉に出来ない“美”というものの・・・悲しみも喜びも過去も今も未来も全て・・・
分離出来ない全体のその美しさ・・・説明出来ないそれ、に浸っていました。
それは感動とは違う、浄化されるような感覚でした。

その作家は、私が言葉には出来ずとも、その感覚を少し理解した様子を
観て、少し笑みを浮かべ、途中にしていた仕事をまた始めました・・・


*LeicaMP/Voigtlander NOKTON35mm F1.2 ASPH*

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