’09 Jeff Beck先生のライブに行って来ましたよ

2009年2月9日


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先週の土曜日に、私が現状生きている創作者で最も尊敬している
人、ギタリストのジェフ・ベック先生のライブに家族4人で行って
来ました。(ジェフ・ベックのことをマニアは”先生”と呼ぶ、笑)

いやあ、本当にスゴいです。
感想無いです。
殆ど内容を覚えていないです。

普通にああ、この人は本当にエレキギターの申し子なんだな、
うまいなぁ(当たり前)とか感覚が動いてはいましたが
感動によって、夢のような経験をしたかと問われればそういうことは
全然ないです。

そうではなく、私自身が、普段持っている諸感覚をそのままに、
「ただ超現実がそこにあった」のです。

これは、超絶的な芸術作品と対面した時に、感じるそれ、です。
感情を揺さぶるような感動などない。

「ただ、超現実がそこにある」

ということです。(クドイ、笑)

これがどれほど大変なことか。

あっという間に終ってしまいましたが(実際演奏時間は一時間半ぐらい)
あ、終ってしまったのか、という感覚です。

受け手は全く無自覚なまま「そこ」に連れて行かれてしまい
元に戻っても何も変わらない「かのように思ってしまう」と思います。

このような最上級のものが持つ独特な「一見何も感じなかったような」
感覚は、誤解も産みます。
自分は感動させられなかった、だからこのライブはダメだ、みたいな
感じです。

しかし、諸感覚は刷新され、何かが変わってしまったことを

「後になって思い知る」

ことになるのです。

しかし、自分の諸感覚の動きに鋭敏な人は、自分が変化させられて
しまったことに気づきます。

(どんなに影響を受けても、自分に変化させられた自覚がない限り受け手は
 影響を認めることはありません)

創造は感動とか物語ではなく、まして絵空事ではなく、現実として、
そこで起こる、それを一般には軽んじます。

なぜなら

「お約束の感動はそこにはない」

からです。

自分のものさしで測れるものには「いわゆる感動をしやすい」のです。

しかし、

「いわゆる感動は核心のまわりに存在する物語にまつわるものが多い」

のが事実です。

そこには涙があり、感動があり、物語があります。

しかし

「その感動は、必ずしも核心とリンクしているわけではない!」

のです。

核心は、実にそっけなかったり、なんでもないものだったりすることが
多い。なぜなら、それはただそれそのものだからです。
それは、測れるものではないし、他の何かと比較出来るものでもない。
だから、判断出来ない。
しかし、現実にそこに事実として存在するのです。
それは得体の知れないエネルギーです。

そこに「最もらしい物語を添付して汚す」ことに、制作側も受け手も
陥ります。(私もそうです)
そこは楽な世界だからです。
まがいものの、癒し、共感、夢見勝ちな物語を現実とは違う架空の世界に
構築する快楽、逃避、達成感、連帯・・・

創造は、物語ではありません。

「ものがたり」はそれそのものではありません。

創造は、現実そのものであり、感動の夢物語ではないのだとあらためて
思いました。

ただし「超現実」です。

“’09 Jeff Beck先生のライブに行って来ましたよ” - 10件のコメントがあります

  1. ruruB Says:

    こんばんは。私も今日行ってきました~。すばらしかったですね。記事を読ませていただいて、まさに私の今の気持ちを代弁してくださっているような気がしました。会場を後にするとき感動してうち震えていたとかではなく普通にさわやかな感じだったのです。しかし私も思います。おっしゃる通り、人は自分の物差しで測れるものには感動しやすいのでしょう。表面上は普通でも、超現実の超絶巨大エネルギーに触れて私の全細胞は変化したに違いないと。


  2. foglia Says:

    ruruBさま、コメントありがとうございます。

    このようなコメントいただけたこと、とても嬉しく思います。

    上では長くなるので書かなかったのですが、芸術には主観
    芸術と客観芸術に分けることが出来ると言う人がいます。
    私も、それに賛成です。

    主観芸術は過去に依存します。
    なので、表現者、受け手、双方の過去をなぞる、それに
    よって「お約束の共感」を感じて”感動”するわけです。

    しかし「客観芸術」は、受け手を問題にしません。
    受け手がそれを受け入れようと、受け入れまいと、関係なく
    「それは浸透し、何かしらの変化を起こす」わけです。

    「事実として、変化させてしまう」

    わけです。

    しかし、それがまるでレントゲンを撮る時のように、
    撮られた時には、感じないのです。
    X線が通過したことを感じないわけです。
    しかし、確かにX線は通過し、写真が残るわけです。

    そのような芸術を「客観芸術」と呼ぶそうです。

    そこには「真の共感」があります。
    「人によって感じ方が違う」ということはありません。
    言葉には出来ないけども、受け手みな、同じものを
    与えられるわけです。

    が、それが「どのように受け手に影響をあたえるか」は
    千差万別になるわけです。

    「同じものが与えられ、その生育はそれぞれになる」

    刷新、変容、自由、です。
    これは真の芸術だと思います。

    しかし、主観芸術は、表現者、受け手、それぞれが最初から
    バラバラなのです。
    それぞれが内向きで、お互いに実は自分の思い出という
    物語をなぞっているだけです。
    言葉での共感、雰囲気の共感はしやすいので、そこで
    「いわゆる感動は起こりやすい」のですね。

    そんな、客観芸術を達成出来る数少ない人の一人が
    ジェフベック先生だと、私は思っています。

    ruruBさんが書いて下さったような、素晴らしいコメント
    のやりとりがここで行われている、ということが
    その客観芸術が存在する、ということの実証だと思います。

    うわ、長くなってしまいました(笑)


  3. ruruB Says:

    こんばんは!コメントにまたまたすばらしいお返しをいただいてありがとうございました。
    主観芸術と客観芸術のこと、「なるほど~」と納得しつつ読みました。客観芸術とはより純化した芸術であり、好む好まざるといった主観に関係なく等しく影響を及ぼすものなんですね。真の共感があるものこそ、人智を超えた芸術ですね。その類いのものはいつも大仰ではなく、知覚できない人には知覚さえできないくらいにものすごくさりげないものなんでしょうね。私はジェフベック好きな友達の急なお誘いでライブへ行ったので前知識なくいきなり先生の超現実の洗礼を受けました。ジェフベック先生は客観芸術の実現者でありながらウッドペッカーに似ていると思いました。若々しかったです。


  4. foglia Says:

    ruruBさん、またまたコメントありがとうございます。

    いやあ、こんなやりとりがお会いしたことがない方とも
    出来るのが「真の共感」のマジックでしょうか。

    スゴいものに共通しているのは、ユーモラスなところや
    愛らしいところが必ずあることでしょうか。
    まるで、自然に存在する花のような。
    純粋な、ただそこにある、それそのものですよね。
    (ここで言う純粋さは”ナイーブ”という意味とは対極)

    昔の宗教画のような、日本で言えば江戸中期以前の工芸品
    のような、、、
    雪舟の絵、長谷川等伯の絵、ダビンチの絵、、
    同じものを感じます。

    極点では反転現象が起こると思っています。
    もしくは”一(いち、ひとつ)”に集約される。

    極めて私的であることが、公共になり、極めて公共である
    ことが極めて私的になる。
    区別や分離が出来ない、全体でそれである、という。
    狙ってそうなるのではなく「ねばならない」「かくあるべき」
    というものから自由に純粋にそこに向かうこと。
    それが達成された時に、その世界に参加が許されるような。
    (達成されないことの方が多いわけですが)

    分野も時代も超越して、そのような素晴らしいものから
    受ける感覚は不思議と共通しているように思います。

    客観芸術は、流行や、時間や人の思想などから自由、という
    か「無関係に存在する」のだと思います。

    ジェフベック先生は、いわゆるロック好きな人からはあまり
    好かれません(笑)
    かえって、偏見のない、ただ目の前のものを聴く、観ること
    が出来る人(あまりいないですが)が、好む傾向があるよう
    です。

    「ロックはかくあるべき」という”スタイルによる共感”を
    得たい人には面白くないみたいです。
    が、私には先生の姿勢そのものがロックそのものだと思う
    んですが。

    (自由は”何々から自由”などではなく、ただ自由であり、そこには
     摂理が含まれており、野方図であることや対象物からの自由ではない)

    それにしても、先生は若いですね。
    ベジタリアンだそうです。

    やんちゃで子供みたいな人で、ギタリストのCharが先生と
    会った時に「オレは高校生のギター弾きぐらいにやんちゃ
    なつもりだったが、ジェフベックは中学生レベルのギター
    少年、負けた」とか言っていました(笑)


  5. ruruB Says:

    こんにちは~
    また書いてくださったこと、たいへんおもしろく感じました。
    最後の一文、笑えました。
    まったくそのとおりだと思います。そういう類いの芸術を生み出す人や天才には子供的な(純粋な)エネルギーが備わっているんでしょうね。
    その人そのものが歩く芸術なのかもしれませんね。
    そうです。つい何十年前まではあり得なかった、こういう形でこういうことをお話できるのが(ネットというネットワークの中で)時代のミラクルだな~と思います。
    私もブログやってます。のぞいてみてくださいね。


  6. foglia Says:

    ruruB さま

    ありがとうございます。
    ブログ拝見させていただきます。


  7. mitsog Says:

    随分前の投稿に失礼します。
    jeffbeckファン歴30年のmitsogと申します。
    ふとした事からこちらのブログを発見しまして、食い入る様に読んでしまいました。
    もう、本当に全てに同意しました。
    これからは私はjeffbeckの音楽を説明する時に超現実という言葉を使おうと思います。
    ありがとうございました。


  8. foglia Says:

    mitsogさま

    コメントありがとうございます!

    そのようにおっしゃっていただくと嬉しいです。

    コメント欄の会話でも書いておりますが「客観芸術」を体現している現代人は、恐らく数人しかいないと思います。その一人が間違いなくジェフ・ベック先生だと私は思っています。

    先生が生きている時に私が産まれてよかったです(笑)

    創作の分野で良く夢とかイメージとか言われますが、しかしそれらを超える膨大なエネルギーは「超現実」です。夢や、イメージというものは実は全てのネタが「過去」なんですよね。

    しかし現実は、正確に言うと現実も、多くは過去の記憶の投影で現実を観てしまうので、過去かも知れません。それに対し「超現実」は、人間が認識出来ていない、人間の認識システムのザルからこぼれ落ちた沢山のものも含めて人間に感じるようになっているものです。

    ここでの出来事は「夢」や「イメージ」を遥かに超えます。「超現実」は、未来であり、宇宙的です。だから、ジェフ・ベック先生のプレイは、瞬時に「空間的」で「宇宙空間に連れて行かれるような感覚」になるのだと思うのです。

    ああ、先生のことを書き始めると止まらない。(^_^)


  9. mitsog Says:

    早速の返信ありがとうございます!
    素晴らしい返信で感激です。

    私は86年の武道館で予備知識なしのままjeffbeckの音楽を初めて浴びました。
    もうそれは凄い衝撃でした。
    音圧が凄いとかはあの当時の外タレロックライブでは当たり前だったかと思いますが、あの身体を突き抜ける素晴らしい音、舞台から発せられる白い発光体の様なエネルギー、等々、完全にもっていかれました笑)。
    私が探していた音楽はこれだった!と音楽の答えを見つけたと思いました。

    学生時代は(神様、jeffbeckを与えて下さってありがとうございます!)なんて友人に言って呆れられてしまったり笑)

    ロック畑出身ですから、どうしても周辺のプレイヤーと比べられてしまいますが、そういうところにjeffbeckはいないですよね。
    なんせ仁平さんの言う通り世界に数人というミュージシャンですよね。
    わかります。

    私もブログをやっています。
    http://blogs.yahoo.co.jp/mitsog
    jeffbeckの事を書きたくて始めたので、jeffbeckネタが多いです。
    良かったら見てやって下さいネ。

    本当にjeffbeckの話は終わりがないですね〜。


  10. foglia Says:

    mitsogさま

    ありがとうございます!(^_^)


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