interview *仁平氏について*

2008年7月31日

仁平さんについてお聞きします。



仁平:そんなことを聞いて何になるのでしょう?


田中:家族構成は?


仁平:妻ひとり、息子ひとり、娘ひとり、の四人家族です。


田中:この仕事、専業なのですか?


仁平:そうですよ。副業なんてありませんよ。


田中:そうですか。しかし、こういう仕事は別の仕事をお持ちの方が多い
   でしょう?
   どこかの学校の講師も兼業しているとか。


仁平:何もありませんね。


田中:お住まいはどちらですか?


仁平:豊島区です。


田中:仕事場は渋谷区代々木(2001年当時)ですね。


仁平:そうですね。
   この場所しか自営業の染め屋に貸してくれるところが無かったのです。
   理由はそれだけです。
   東京でやっているので、東京友禅と言われることがありますが、
   私は東京友禅の作品でもないし、協会にも入っていませんし
   東京の模様師の方と殆どおつきあいはありませんね。
   モグリなんですよ(笑)


田中:そうなのですか。
   履歴を拝見すると随分と料理関係の仕事が長かったようですね。


仁平:そうですね。
   なんだかんだで8年ぐらいやっていました。


田中:料理と染物、随分とかけ離れたものに転職したのですね・・・。


仁平:いや、私にとってもはあまり変わらないですけども。

   素材をどのように開花させて、自分のやりたいこととリンク
   させるか、ということにおいては同じこと、と言って差し支えない
   ぐらいですよ。


田中:しかし、普通は絵を描いたりは出来ないでしょう?


仁平:絵は料理をやっている時も描いていましたから。
   流石に染は、設備がないと出来ないのでやっていませんでしたが。


田中:だからといって、仕事にまでなるというのは・・・?


仁平:何が生業になるかというのは分からないものですよ(笑)


田中:料理の経験は役に立っていますか?


仁平:料理の経験はとても役に立っています。
   いろいろな料理や、コーヒーの自家焙煎のお店などで働いたり
   しましたが一番キチンとやったのは、イタリア料理のリストランテ
   でした。

   そこは有名店だったので、とても厳しく、叩き込まれました。
   ある程度はまかされるぐらいにはなりました。
   もちろん、シェフにはなっていませんよ。
   

田中:どのような経緯で料理から染物に?


仁平:イタリア料理をやる前には、ファッションメーカーの靴下のデザイン
   部門やインテリアデザインの事務所、その他色々職業を点々として
   いましたね。
   一番多かったのは調理関係です。

   まあ、若い時の「迷える子羊状態」だったわけですね。
   いろいろな人に迷惑をかけたと思います・・・

   そんなこんなで、24歳の時に結婚したのですが、そのあたりで
   本格的なイタリア料理のお店に入って修行したのです。
   そのお店のシェフは有名な人だったのですが、まあ、天才肌の人で、
   一年でメイン料理出来ないようなヤツはいらない、ってぐらいの人
   でした。
   
   そこで、結局メインをまかされたり、シェフがイタリアに行って
   いない時などにはまかされる程度にはなったのですが、本格的なゆえに、
   自分が日本人であるということを深く確認してしまったのです。

   例えば、鴨をローストして、マルサラワインソースで仕上げる時
   でも「これは芥子醤油で食べたいよな」とか思ってしまう自分が
   いるわけです。

   やっぱり日本のものをやりたい、という欲求がもの凄く起こって
   しまったのですね、本格的なイタリア料理の現場にいたゆえに。

   しかし、その時には26歳になっていたので、その年齢では和食の
   一流店には入れないのですね。
   それぐらいの年齢だと焼方や煮方になっていなければならないから。

   まあ、それで20歳ぐらいの時に一年だけいたことのある染色作家
   さんの工房にいつでも戻って来て欲しい、と言われていたので、
   渡りに船だという感じでまた戻りました。

   私にとって、料理も染も同じことだったのです。


田中:なるほど、大胆な転身ですね。


仁平:いや、ですから、本人的には同じことなのです。
   しかし、既に結婚していましたので、妻は良く認めてくれました
   よね(笑)


田中:それは奥様がエライです。


仁平:みなさん、そうおっしゃいます・・・
  
   が、私は染物の工房に入ったとはいっても、営業として入ったのです。


田中:そうなんですか?


仁平:そうです。
   26歳から染の修行なんてムリだ、歳を取り過ぎている、染をナメるな、
   お前は営業をやれ、ということで。
   まあ、営業の方が給料が良かったので、妻帯者の私としてはそれでも
   いいか、と。

   で、後から染めに侵入していけば良いと思って営業で入りました。


田中:それで、どうしたのですか?


仁平:営業で入ったわけですから、普段は営業をしていましたよ。
   仕入れをしたり。

   しかし、私は染をやるために工房に「侵入した」のですから、染の
   練習を少ない給料から道具を買って家でやっていたのです。
   工房では先輩たちが、作業をしていますよね。
   それを観て、家でやるのです。

   休み時間は、工房にある本を片っ端から読んで、夕方みんなが帰った
   後も一人残って師匠の部屋の本棚にある本を片っ端から読んで、
   必要なものはコピーして、とやって行きました。

   それと、家で自分でつくった練習で染めた布を
   「事務机に置いて帰って」
   自分は染めをこれぐらい出来る、というアピールをしていました。


田中:はぁ、随分とやりましたね。


仁平:いや、私は染をやりたいのであって、営業をやりたかったわけでは
   ないのですから・・・しかし、営業の経験はとても役に立ちました。

   まあ、そんなことをやっていると、染が忙しい時には、ちょっと
   仁平も手伝え、となる時もあるわけです。
   その時に出来てしまえば「なんだ、出来るじゃないか」となるわけです。
   職人仕事は出来てしまえば勝ち、なわけですから。

   そんなこんなを繰り返していたら、一年したら、私専用の友禅机を
   用意してくれることになりました。

   めでたく染にも参加出来たわけです。


田中:それから、染を専業に出来たのですか?


仁平:いえ、営業と二股です。

   営業のある時には、朝始発で出て、染の仕事を終わらせてから営業に
   行き、また営業から帰って来てから染めの仕事をしました。
   それは、ただでさえ、営業との二股なので、染の実務が少ないからです。

   私に渡された仕事が終わっていないと、先輩たちに回されてしまいます
   からね。
   自分に渡された仕事が他の人に回るなんてもったいないですから。
   自分に渡された仕事は死守するわけです。

   その他、師匠の本棚や、師匠の興味のあることを調べておいたので、
   また、いつも師匠の様子を観察していたので、何か新しい仕事があると、
   私に回してくれるようになりました。
   徒弟制ではあまり師匠は説明なんかしてくれないのです。

   「あー、あれ、あんな感覚のやりたいんだけど」

   「ああ、乾山の壷のアレですね」

   「ああ、それ、それで行こう」

   なんてノリなわけです。

   先輩達は、そんなこと全く興味もなかったので全然話について
   来られないので先輩達よりも、私に仕事が来るのです。

   そうやって染の仕事を得て来ました。


田中:それで、3年しか修行していないのですよね?


仁平:それは、単純に工房がつぶれてしまったからです(笑)

   私は何のあてもなく、放り出されてしまいました。

   29歳の時でしたね。

   それも、独立と言っても、酷いやられかたでした・・・
   ここでは言えませんが。

   私は、外には営業社員と思われていましたから、一応独立しました、
   という案内を出させていただいたのですが
   「え、アンタ営業だったんじゃないの?」なんて反応でしたね。

   そもそも、染の修行は10年というのが多いのです。
   それも営業と思われていて、3年しかやっていないわけですから、
   社会的には全く信用なんてない状態でした。
   また、徒弟制では良くある師匠の認定みたいな書面ももらえません
   でしたし。


田中:それは大変でしたね。


仁平:それはそれは大変でした。
   が、まあ、何にしても独立したかったわけですから、嬉しくも
   ありましたけども。

   それでめでたく独立、と。

   またそういう時に限ってずっと出来なかった子供が出来たりして(笑)


田中:それは大変でしたね・・・奥様は反対されなかったのですか?


仁平:反対しませんでした。


田中:偉いですね。


仁平:エライですね(笑)


田中:で、それからどうなったのですか?


仁平:まあ、あまりに苦労と屈辱に満ちているので、グチっぽくなって
   しまいますので端折りますが(笑)

   最初は、帯や着物を染めるようなスペースが無かったので、
   それは当然ですよね、突然、会社をつぶす、と言われて独立ですから。

   最初はインテリア周りのものや、ストール、染額などをつくっていました。
   しかし、売る当てが全くなかったので、何をつくったら良いやら、という
   ぐらいでしたね。

   とにかく、生活をしなければならないので、いろいろなお店に飛び込み
   営業に行きました。
   まあ殆どラチがあかないようなものです。

   なので、個展をやってみよう、ということで個展をやりました。
   これがまた、私が独立した当時は、染物というはかなり格下に扱われて
   いて貸しギャラリーでも貸してくれる場所があまり無かったですね。

 
田中:それでも、一応個展はやったと。


仁平:そうです。

   いくつか個展をやっているうちに、口コミなどで
   「ウチの店でもやってみないか?」
   みたいに少しは広がって行きました。


田中:そこから順調に?


仁平:いやいや、そんなに簡単には行きませんよ。

   まあ、そんなこんなしているうちに、最初に住居兼仕事場にしていた
   家を出なければならなくなり、他を探したのですが、まあ、これがまた
   染なんかの自営業者には貸してくれないのですよ、それは置いておいて、
   なんとか帯や着物をなんとか張れるような細長い物件を借りることが
   出来たので、そこを借りました。

   それからやっと帯や着物を染めることが出来るようになりました。

   しかし、私は修行中には、自分で帯や着物の図案を描いて染めた
   ことはなかったのでいったい何をつくったら良いのやら、全く
   暗中模索でしたね。


田中:そうなのですか?
   それではどのようにして行ったのですか?


仁平:ようするに、私は誰にも習っていないのです。

   博物館などで古典の作品などを観て、自分で染をやっている体験や
   本などで知識を得て、実験して、それを結びつけて自分化して
   いったわけです。
   それだけです。

   もちろん、染色の工房にいたのは事実で、そこの作業を手伝わせて
   もらったということがありますから、全くの独学ではないですが、
   そこでやっていたことはただの手伝いに過ぎません。
   基本的に営業でしたしね。

   だから、自分で必要に応じて、技術や、感覚を作り上げていったのです。

   本当に生きるか死ぬかの状態だと覚えるのは早いですよ。
   そんなことをやっているうちに、自分なりの創作姿勢も出来上がって
   行きました。


田中:そうなんですか・・・
   それで良くやっていけましたね。


仁平:いや、出来なければ生活が出来ないのですから。


田中:最初はアルバイトなどをしたのですか?


仁平:アルバイトに時間を割くなら、作品をつくって売りに行った方が
   建設的だと思うのでしませんでした。


田中:そうですか・・・


仁平:そんなこんなやっているうちに2年目にはちゃんと家族で生活出来る
   ようになりました。


田中:それは驚きです。


仁平:なぜか、たいした修行をしていないのに、独立した当初から技術的
   には上手いという評判だったのです。上手くて面白くない、とさえ
   言われたこともありました。
   草木染でこんなにちゃんと染まっているのはウソだと言われたり。


田中:はあ・・・しかし、それは余程染物に向いていたのでしょうね。


仁平:いや、そんなことはないですよ。
   私は、右手首と指が、コックの時のケガで普通の3割ぐらいしか
   動かないので両手で仕事しますしね。


田中:そうなのですか?そう見えませんが。


仁平:まあ、とにかくそんなこんなで、着物や帯も出来るようになって、
   それも営業に行ったり、個展などをやってなんとかそれも動くように
   なりました。


田中:それから順調に?


仁平:いえ、今まで一度も順調になんてありませんよ(笑)

   私は、固定の、いつも仕事をくれるような取引先があるわけではなく、
   作品を買っていただくか、注文でもご要望を聞いて、それに自分なりの
   染物をつくる以外の仕事はないのです。

   なので、いつも綱渡りですよ。


田中:それはかなり辛いですね。
   どこかの団体や協会に属しているのですか?


仁平:いえ、どこにも。
   全くありません。


田中:それで生活するのは大変ですね・・・


仁平:ええ、だから大変なのです(笑)
   代々染の仕事だったとか、家に敷地がたくさんあってそこに住んでいる
   とか仕事場がある、なんてことはないので、丸々家と仕事場の家賃も
   払うわけですからね。
   そして、団体にも協会にも属していません。
   ただの無名の染め屋に過ぎませんから。

   これからもずっとそうでしょうね。


田中:分かりました。

   何か聞いてるだけでも息苦しくなって来ました(笑)

   これで終わります。
   ありがとうございました。


仁平:ありがとうございました。


(2001年9月当時のインタビューです)



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