interview *自身の作品について*

2008年7月31日

こんにちは。
今日はよろしくお願いいたします。
私、田中がお聞きいたします。



仁平:よろしくお願いいたします。


田中:仁平さんはこういった、なんというか、あまり例のない染め物を作られている
   わけですが、どういった考えで制作をしているのですか?


仁平:そうですね。なんと行ったら良いか・・・
   私は、色とか柄とかそういったものより「生命感」や「素材同士の響き合い」
   に興味があります。


田中:と、言いますと?


仁平:例えば、着物だったらそれを着る人と着物の「生命感同士の響き合い」という
   ようなものです。

   日本だけではないですが、しかし特に日本のものに感じるのですが、色とか
   文様の取り合わせを超えたところにある相性というものが大切だと思うのです。

   着物を例に取ると、着物と帯を別々に見た時には色、柄、両方ぴったり合う
   ように見えても、実際に合わせてみた時には「お互いの波長」が合わなくて
   実際には合わなかった、ということが良く起こります。
   洋服だったら、それほど外れることは無いですけども。

   「波長や品格同士の響き合い」が見た目の相性を超えることが多々あるの
   ですね。

   だから、逆も起こるわけです。
   合わないと思っていたものが、実際に合わせてみると相乗効果で足し算では
   なくかけ算的に調和してしまうものなど。

   まあ、国や分野を問わず、一線級のものではそれは良く起こることですが。


田中:茶事のしつらいなどでもそれはありますね。


仁平:その通りです。

   その緊張感をいかに作り、そこに新しい空間を産み出すか、ということが
   特に「草のお茶」では重視されていると思います。

   私は、日本文化の根幹は「常に緊張感のある調和」だと思っているのです。
   それはいろいろな日本の伝統文化が証明していると思います。
   それは現代にも通ずることで、日本は外国からの刺激をいち早く日本化し
   それを日常化してしまいます。

   それも、ただ流用するだけでなく、新しい価値を与えて新しい文化にまで
   昇華してしまうのです。
   日本人が新しいものを作ることが苦手である、というのは間違いです。
   
   外からの文化を形式的に取り入れたとしても、それに新しい価値を与えて
   生まれ変わらせてしまうのです。
   それも創造です。


田中:なるほど・・・
   
   「常に緊張感のある調和」と考えると、いわゆる日本的と言われる花鳥風月
   のような形式的なものを超えたもっと根幹的な運動を把握できますし、その
   把握の仕方なら、現代でもそのまま通用しますね。
   実にシンプルです。


仁平:そうです。

   文化は、形式のなかにあるのではなく、実際に運動しているものです。
   だから、形式のさらに奥にあるものを捉えなければ、大変に高度で強固な
   伝統に、悪い意味で流されてしまいます。

   もちろん、洗練された形式そのものにも伝統の価値はあります。
   しかし、形式そのものが文化ではなく、あくまでもさらに奥の文化の運動、
   心臓部が動いていない限り、その形式は形骸化してしまいます。
   
   なので、私は「常に緊張感のある調和」というものが日本文化の根幹である
   と解釈というか、結論というか、そう捉えているのです。


田中:なるほど。分かりやすいですね。


仁平:ですから、私の作品で言うと、私がつくった布が発するある種の波と私の布を
   取り巻く環境との総合的な響き合いをつくり出すことが出来れば理想です。
   
   例えば、布と、家具や陶器、なんでも良いですが、それぞれが持っている波長
   が響き合う、そういうものの「起点」に、私の布がなってくれれば良いと考えて
   います。
   
   例えば、特に動きを感じられない部屋に、私の布を置いたことによって、他の
   モノたちが共鳴し出すような・・・
   そういったものであって欲しいと思います。

   私は自分の自我を満足させるために作品をつくるということはありません。
   「こういうものをつくりたい」という欲求は起こりますが、それは自分が
   こうありたい、というものではないのです。

   私の思考が「こうありたい」と言うものは、過去の小さな記憶の延長線上
   に過ぎないのです。
   それでは、モノ、を共鳴させることは出来ません。

   そうではなく、私は、私の思考を超えたいのです。
   素材と、環境との関係性によって。
   それは「私」という小さな存在を乗り越えてくれます。
   素材と、素材との関係性によって、私は運ばれて行くような感じです。

   「私を意識しないぐらいにモノと関わることによって、私はより私になる」

   のです。

   自分で勝手に思い込んでいる「私」というものは実は自分で自分を狭い部屋に
   閉じ込めているようなものです。


田中:なるほど・・・

   とても分かりやすいですね。
   とても整合性があると思います。
   しかし、そういうことをおっしゃる人と初めてお会いしました。
   それはどなたかからの影響によってそういう考えに至ったのですか?


仁平:いえ。自分の仕事のなかで自然にそういう考えになりました。
   私は染めについての姿勢において誰かを参考にしたことはありません。
   

田中:そうですか・・・
   とても興味深いと思います。
   いろいろな理論は関係なく、正にそれそのもの、実際に起きていることを
   説明していただいた感じがします。


仁平:ええ、実際にそういう構造だと思います。実際に私だけの考えという
   ことではないと思います。私としては・・・
   私は、当たり前の事実を言っているつもりです。

   もちろん、他の方々の考え方を否定するのではなく、あくまでもこれは私の
   姿勢ですが。


田中:先ほど、素材と関係、という話が出て来ましたが、仁平さんにとって素材とは
   関係、とは何を意味するのでしょう?


仁平:私にとって、私を取り巻く環境は全て「素材」です。
   自分自身に訪れるインスピレーションも。
   注文制作における注文主の要求も素材です。
   私は、素材同士の「関係性」を観ます。

   「素材と素材の間にある関係性に、何かが舞い降りるのです」

   私はそれを形にします。

   そこに、私は私の思想を持ち込みません。
   
   素材単体にも力はあります。
   しかし、そこに「私という素材」が加わることによって「関係」が産まれます。

   しかし作品を制作するにあたって素材は一つではありません。
   たくさんの素材同士が複合的に影響し合います。
   そこに、いろいろなことが起こるわけです。
   そこに、形を与えるわけです。

   私の考えでは、創造は、思考の中にはありません。
   思考や思想によってつくられたもの、それは自分の過去をただ今に持ち込み、
   それを出しているに過ぎません。
   それは小さいもので、堂々巡りだと思うのです。

   それとは対照的に、素材同士の関係性に訪れるものは、常に新鮮です。
   素材そのものは、人間の思考を常に超えています。
   人間は素材の一部分しか観えていないのです。

   私は、存在間にある関係性、それを捉えます。
   そして、それは正に私の個性そのものです。

   なぜなら、私という素材は一つしかなく、その私という素材が動くことでしか
   作品は出来ないからです。

   「素材を開かせること、即ち、私が開かれること」

   になります。


田中:・・・とても変わったアプローチだと思います。
   私はそういう姿勢の人と初めてお会いしました。
   しかし、初めて聞いたお話ですが、とても分かりやすいですね。


仁平:そうですか・・・

   不思議と、私のこういう話は業界や、美術関係の方々には分かり難いようで
   いわゆる美術関係ではない方々には逆に分かりやすいようです。
   私は創作に関する事、いや、創作に限定しないですね、、とにかく運動する
   文化、生きている文化を理論化することは、結局はその理論に運動する文化を
   閉じ込め、限定してしまうことだと思っているのです。

   なので、私は理論を持ちません。
   ただあるものを観て、関係性を観て、そこに形を与えるだけです。
   

田中:なるほど。仁平さんの作品がとても多岐に渡っていることの理由が少し理解
   出来た気がします。
   私は、初めて仁平さんの作品を拝見した時に、この多様な作品群を一人
   の人がつくっている、ということが信じられなかったのです。

   しかし、根幹にあるものは同一に感じました。
   それもまた、不思議だったのです。
   そして、技術的に逸脱もないことも。
   モダンでありながら、伝統的であることも。
   
   それは、仁平さんが自分のあらかじめ決めた「思想に沿ったものをつくる」
   のではなく、素材と、その関係性にその都度ふさわしい形を与えるという
   姿勢から産まれるということなのですね。


仁平:そうです。とてもシンプルです。

   シンプルゆえに、多様になるのです。
   そもそも、多芸が売りではその多芸に忙しくなり、流されてしまいます。

   私自身、多様、多芸だと思ったことはありません。
   染めだけでなく工房のデザイン関係、ウェブデザインに関してもですが、
   全て自分でやりますがそれも必要があってのことです。
   まあ、ウェブは構造をつくることは出来ないのでプロにおまかせします。

   シンプルな姿勢ゆえに、自然に多様になるわけです。

   例えば、日本の食器やその他、実に多様ですよね?
   日本ほど、食卓に多様な食器が同時に並ぶ文化はないでしょう。
   個人で観ても、乾山や、魯山人など、個人で実に多様なものをつくります。

   しかし、取り合わせてみると一貫性がある。
   もちろん、前に言った通り「響き合うもの同士なら」ですが、それも
  「常に緊張感のある調和」という根幹から観れば当然のことと思われます。

   もちろん○○一筋、というもう一つの方向もあります。
   しかし、日本の文化は多様性という性質が実はかなり大きい割合を
   占めているのだ、ということを言いたいですね。

   最近は伝統的なものだと「○○一筋何代目」のみが価値があるような、
   信頼があるような風潮ですからね。


田中:しかし、その素材との関係性から観えること、そこに起こることに
   対してふさわしい形を与えるということはその技術も必要だという
   ことですよね?

   それはどのようなものなのですか?
   やはり技術は必要だと思うのですが。


仁平:もちろん、技術は必要です。

   しかし、基本的に技術は、真の必然があると、その技術もついて来るものだと
   思います。

   もちろん、素材との関係性によって何かが観えても、それをその時の自分が
   取り扱えないような時もあります。
   その時には、その必要な技術を得たり、新しい技法を開発したりします。

   技術は、あくまでも関係性から観えたものに形を与えるためのものです。
   もちろん、基礎はしっかりしたものがあるということは前提です。

   しかし、基礎以上の新しい技法は無いようにも思えます。
   ここで言う基礎の意味は、それが完全に身に付いてるいる、という意味です。
   思い出しながら行うのは基礎ではありません。


田中:うーん、おっしゃることは理解出来ますが、それを可能にするのはやはり
   普通では出来ないことだと思いますが・・・


仁平:もちろん、私も出来ないことは出来ないのです。
   なので、私は出来ることをやっているに過ぎません。
   
   ようするに、私は思想も理論も決まった技術も持っていないのです。
   染めに関しての技法は糸目友禅と、ろうけつで染めているだけですし。
   だからといって、それにこだわりがあるわけではありません。
   技法的なことは極めて基本的なことしかやっていませんよ。


田中:そうですね・・・確かに、おっしゃることは理論的なようで理論では
   ありませんね。
   お話をお聞きして、なるほどと、非常に納得するのですが、私にはまだ
   体感出来る感じではありませんね・・・
   とても斬新な姿勢だと思います。


仁平:いや、斬新ではなく、昔からそうだと思いますよ。
   人によって言い方が変わるだけかも知れませんし。


田中:仁平さんの自作への姿勢は良く分かりました。
   作品についてのお話はこれで終わりたいと思います。


(2001年9月当時のインタビューです)


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