− 作品 −

2015年 5Day Art Challenge(一日目)

2015年2月19日

私はFacebookをやっているのですが、そのなかで【2015年 5Day Art Challenge】というイベントみたいなものをやっていまして、それが私にも回って来ました。

それは、指名された人が「一日三点の作品を五日間UPし、その後次の人へバトンを渡す」ということらしいです。

あまりそういうものに参加したことはないのですが、今回は参加してみました。

私が関わっているいろいろな仕事を、分野を毎日変えて紹介させていただきました。

せっかくなので、こちらのブログの方でもご覧いただきたく。。。。
ご覧いただければ幸いです。

画像に解説を付けてあります。

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【2015年 5Day Art Challenge 一日目】

一日目は、布の染額の仕事を紹介させていただきます。



染額「循環」(糸目友禅/ろうけつ)

種は発芽し、花を咲かせ、実を結び、またそれが繰り返される。。。その時間経過を一つの画面に収めました。宗教的題材をさりげなくポップに、しかし伝統技法でしっかり仕上げてあります。




染額「時を泳ぐ魚」(糸目友禅/ろうけつ)

時の川を魚は泳ぎ、魚の形をした川を月の舟に乗ったハートは逆方向に漕いでいます。それを春の小花が見守っています。時間は同じく存在するも、それぞれの価値と速さがある、ということを表しています。




染額「枯れた花は月の涙で蘇った」(糸目友禅/ろうけつ)

枯れて灰色になった花が、月の慈悲の涙を受けたことによって蘇りました。死と再生を一つの画面に表しました。


(次は紙額の仕事を紹介させていただきます)






ヨーロッパの風景のなかの和服(2)

2013年11月15日




先日の「ヨーロッパの風景のなかの和服」というブログ記事の続きです。

上写真は「なか志まや」さんのご注文でウチで制作しました麻の生地に墨の濃淡と胡粉で染分けした夏帯です。着物は、なか志しまやさんと、京都の「きもの創り 染の小阪」さんによる制作の、麻生地にシケ引きの染めです。

前回の記事でも少し触れましたが「現代の洋服よりも、素材の魅力が自然に出ている良質な和服の方がむしろヨーロッパの古い建築物と親和性がある」ということ。

それと、記事にいただいたコメント「例えばフランスで、和服を着ているからといって褒められるわけではなく【質の良い和服を着ていると褒められる】」ということ。

ここから、いろいろなことが観えて来ました。

私は良く素材素材と言いますが、それは決して「素材原理主義」というわけではなく(笑)
事実がそうなっているから、そう説明しているだけなのです。

(ちなみに「素材の開花についての雑感」という記事も以前書きました。私が言う素材とは「私を取り巻く外部の環境、内部に起こること、全てを意味します」)



(産地ものの古典的な細かい絣の着物に仁平制作の名古屋帯)

そう、その素材と何かしらつくられたモノの話ですが、今回の「ヨーロッパの風景と日本の和服が響き合うように」例えばこういうこともあるわけです。

「日本の古典的な素晴らしい建築や風景と、西洋の素晴らしい仕事の布は良く響き合う」

「西洋でなくても、中近東の素晴らしい仕事の布は、日本の建築や風景と良く響き合う」

「日本の、古典的な素晴らしい建築や風景と、クラッシックカーの名車は、とても良く似合う」


その他その他、

なんでも言えることです。

そして、別にそれは古典的なもの、伝統的なものに限らず、近代であろうと現代であろうと【良い仕事のもの同士】は響き合う。

ようするに、

「自然な素材感が出ているものや、仕事の良いもの同士は基本的には文化や時代や分野を超えて響き合う」

ということです。

だから、前回書いた「ヨーロッパの風景のなかの和服」の記事のなかで「(自然な素材感が出ている)和服の方がむしろ現代の洋服よりもヨーロッパの建築と響き合うのではないか?」ということは当然で、高品質な洋服であれば、当然にヨーロッパの風景と良く合います。

が、ファストファッションでは、ヨーロッパの古い建築物とは合わないわけです。
ファストファッションが似合うのは、もっと人工的で素材感のない環境のなかでしょう。

(※ 特性の話であってファストファッションや現代の廉価な建材の否定ではありません)

それでも、現代なら現代の、仮に化学繊維のものでもその化学繊維独自の特性が良く表れた良さのあるものなら、古典的なものとも合うでしょう。自然素材でなければダメという話ではなく、素材同士の共鳴の話ですから。。。

着物であれば、例えば今良くある「素材を無視してつくられた」雰囲気の浴衣や着物であれば、伝統的な建築物や自然と合わないでしょう。また「必然のない形式のみ踏襲した伝統的な仕事」も合わないでしょう。だから、現代の着物の多くは、日本庭園とも合わないのです!浮いてしまうのです。しかし、和服業界からこういう声を聞いたことがありません。恐らく、そう感じていないのでしょう。。。

そういうことなんだなあ、と前回の記事を書いて読み直し、また、記事にいただいたとても参考になるコメントを読ませていただいて、思いました。

結局「良いモノ同士は国境や時代や分野を超えて響き合う」ということ。

そういう、時間や文化の違いを超えて存在するようなものをつくり出す努力をしたい、そういうものを残したいとあらためて思いました。

今回「きものギャラリー睦月」の横山さんの一連の写真から、そのような、ある意味「言葉にすると当たり前の、しかしとても大切な事実」の再確認をさせていただいた、貴重な体験をさせていただきました。そうです。「日の本に新しき物無し」です。しかし、その再発見が大切で、刷新になるわけです。



そして、後ほど、横山さんからお話を伺ってみると、私が感じたその通りの信念で和服に向かっていることを知り、とても納得し、私は感動してしまいました。

横山さんは、着物も洋服も同じ「着るもの」として扱います。

「良いもの、自分が納得するものは通じ合う」のだと、そういう信念でヨーロッパに自分が納得する和服を持って行き、着た、そして自己申告ではなく、全くその通りの反応を、ヨーロッパの方々からいただいたし、実際に画像で観てもそうなっているのです。

前回の記事で書いたイタリアのアルマーニのショップで横山さんの和服姿が大絶賛で撮影大会になってしまっただけでなく、通りすがりのイタリア人のご夫人に「あの、あなたのキモノ、こんなキモノは初めて見ました!今までみたキモノで一番好きです。美しいです!キモノならみんな美しいとは思わないけれど。。」と呼び止められたり、そういうことが頻繁にあったそうです。

私の仕事がそういうことのお役に立てたなら、本当に嬉しく思います。。。!!m(_ _)m





ヨーロッパの風景のなかの和服

2013年10月12日




今年の5月に個展を開いていただいた岐阜の呉服屋さんの「きものギャラリー睦月」さんの横山さんが、ご主人とヨーロッパを旅行された際に、和服を沢山お召しになりました。その画像をいただき拝見し、大変に参考になり、また自分の創作姿勢への励みになりました。

横山さんは大変、自然に和服を現代の「着るもの」としてお召しになります。もちろん、日本国内でもそうされているわけですが、現代日本で自然につくられている和服は、全くそのままで、日本の風景だけでなく、ヨーロッパの自然風景、街並と響き合うのだと、横山さんがお召しになった写真を拝見して感動したと共に、つくり手として自信を持つことが出来ました。

「現代日本で自然につくられている和服」というのは、ヘンに気取ったモダンアートコンプレックスのような和服ではなく、またヘンに外国人がイメージする「和風」古典文様の衣装ではなく、悪い意味の「作家モノ」と呼ばれる意匠を凝らした「絵の出来損ないのようなもの」でもなく、普通に、現代の日本人の制作者たちが、販売する人たちが、良いと思い制作したものです。

今回、横山さんがヨーロッパ旅行にお持ちになったものは、伝統的な産地の織物と、現代の染物、現代の織物です。ヨーロッパ人にウケそうだと「和服の業界人が日本的だと思っているもの」(といっても本当の古典ではなくいかにも呉服調の)ではなく、自然に横山さんが好きだと思うものです。

それが写真にある通り、なんと自然にヨーロッパの風景と合う事か!

言うまでもなく、和服は高度な専門職が集まり、それぞれがそれぞれの仕事を全うすることによって、成り立ちます。これは、制作側だけでは出来ません。着ることを見据えた上で、和服のいろいろなアイデアを出したり、新しいコーディネートをしたり、いろいろなメンテナンスは制作する人だけでなく、和服を販売する人とそれに関わる人が必要です。その相互作用によってより良いものが出来上がります。

上の写真は、東京新宿の「なか志まや」さんのご注文でウチで制作しました麻の生地に墨の濃淡と胡粉で染分けした夏帯です。着物は、なか志しまやさんと、京都の「きもの創り 染の小阪」さんによる制作の、麻生地にシケ引きの染めです。

ヨーロッパの古い建築のなかにおける、この着物と帯の自然な日本らしい素材感、そして着手である横山さんの着付けと佇まいの美しさ、存在感は本当に素晴らしいですね。

やはり「和服は着て最大限になるようにつくるべき」だとあらためて思いました。衣桁にかけられた状態で善し悪しを言っても仕方がない。着付けて、着た人がどうなるのか、が大切だと。

そして「良い和服は着る人をアートにする」と、ちょっと安っぽいコピーみたいですが(笑)思いました。




「ホテルアマルフィ」の前にて。
「なか志まや」さんと「染の小阪」さんの着物と「なか志まや」さんと仁平制作の帯で。




こちらは場所は分かりませんが、この写真ではヨーロッパの人たちと、和服姿の横山さんの対比がとても面白いと思いました。個人的には、現代の洋服よりも、むしろ伝統的衣装である和服の方が、ヨーロッパの古い建築物と合っていると思いました。(身内びいき過ぎ?笑)




こちらは、産地ものの古典的な細かい絣の着物に、上の白いシケ引きの着物に合わせたものと同じ帯を合わせたものです。地色や質感は全く対極ながら、どちらにも良く合っていますね。

私のつくる布は(着物、帯、その他のもの)個性的なようで、いろいろな着物、帯、インテリアに合せられる特徴があります。それは、色や間に余裕を持たせていること、素材感を分りやすい形で表層化していること、それらが組み合うことを予想して制作しているので、他の要素を受け入れて増幅しやすいからなのです。一枚の布として完結させ過ぎないこと。【使われた時に一番最大強度になること】を常に考えて制作しています。【他のものを受け入れる感覚的な“空白”があること】それが最終的には、布のとりまく環境を巻き込んだ増幅となり、一枚の布として完結させるよりもずっと大きな動きを産み出すことが出来るのです。




こちらは、上と同じ産地ものの古典的な細かい絣の着物に、横山さんのご注文によって制作しました、仁平作の帯の取り合わせです。こちらも本当に良く周りの風景と響き合っていると思います。

こちらの帯は、波形の生地の地紋が生きるように、なおかつ使いやすいように、シンプルに紺色のぼかしの線を一本だけ入れ、地色を薄いグレーに染めたものです。「作家ものは凝ったものがいい」と一般には望まれるのですが、横山さんは、そういうことをおっしゃらずに、実際に着て良いものを受け入れて下さるので、助かります。そして、実際にこのように着こなして下さいます。。。

ヘンに伝統伝統と主張しない産地ものの素晴らしい古い紬の着物、そして現代の作り手による現代的な素材使いと解釈と表現の染物、その両者は全く違う表現方法でありながら、根幹は結びついている。そして、その素材と、素材から引き出された表現の自然な結びつきによる作物は、他の文化圏の風景とも自然に共鳴し合う。お互いが出会う事によって、お互いの今まで観えなかった新しいものが観えるようになる、そしてその新しさがその布たちの周りの環境に影響を与え動き出す、そんなことを起こせたら最高です。。


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私は【日本人は昔も今も素材フェチである】といつも主張していますが、やはりそれは正しいし、昔々は全世界的にイヤでも「素材に従わずには何も作れなかった」わけで、それゆえに、素材感がそのまま残る建材を使った古い建物が残るヨーロッパの街並と、素材を大切にして(いじり過ぎずに)産まれた和服は共鳴するということ、(もちろん、日本建築とは当たり前に共鳴する)そして時代や時間とは無関係に存在する素材同士はどの文化圏のものでも共鳴し合う、という「事実」を観た気がしました。

現代、和服を着るということは、ある意味「非日常」です。

しかし、その「非日常」のことをあえてすることの一つの理由に【日本人は素材フェチであり、布が大好きである】ということで、それが【自分が大好きな布をたっぷりと身にまといたい】という望み、願望に結びついていると思うのです。

今は一部の好事家以外では、以前ほど「美しい布を身にまといたい」という理由で和服を着ないでしょう。しかし、やっぱり和服のなかで現代も長着が残り、長い帯が残り、実用的でない大きな袖が残っているのは「素晴らしい布を体全体に纏う快感と高揚感」があるから、と感じます。(和服を着る理由の一つではあると思うのです)

「キモノという衣装を着ることそのものが好き」というのと「美しい布を、タップリと身にまといたい」というのは別に分離はしてなく、お互いに混じり合っているものだと思いますが、「現代において美しい布を体全体にタップリとまといたい」という意識が強い人は、自分が気に入る布でないなら、ワザワザ和服を着ない傾向があります。

それは単純に自分が気に入った布を身にまとうことが目的だからです。自分が気に入った布を身にまとうのに最も有効で合理的なのが「和服」だから、それを着るというわけです。(取り合わせも含めた総合的な衣装文化としては最大だと思います)そういう衣装の残り方もあるのだと思います。

もちろん、今は失ったいろいろな文化的慣習の名残りして着るということも多々ありますし、そして今も機能する昔から今に伝承されている普遍的な文化的喜び、感覚的、体感的喜びもあります。

しかし、日本人の「素材そのものを愛でる感性」による日本の布文化の引き継ぎ方は、現実にいろいろな文化の壁を超えて、実際に和服として映えるし、いろいろな風景に共鳴するし、着る人も輝かせるし、全く違和感なくその存在感の証明がされていると思いました。

ちなみに、横山さんご夫妻が、イタリアのアルマーニショップに上写真の「白い麻のシケ引着物と、仁平作の染分帯」で買い物に行った際、ショップ店員に取り囲まれ「素晴らしい!」「写真を撮っていいですか?」「パーフェクト!!」と絶賛で、写真を撮られまくったそうです。

彼らも、全く当たり前に、イタリアのなかの「現代和服」が「スゴくクールでカッコいい!」と感じたのだと思います。

「ああ、ジャポネの民族衣装ね、うん、まあ、クールだね。。」ではなく。。。。。

そして、ヘンな話ですが、横山さんのご主人や、ご友人が、たまたまそこにいた人たちが、ただただ「横山さん、キレイ!」と思わず「再確認する」とか、写真を撮ってしまうような状態であったなら、それこそ「完全にうまくいっている」のでありその時に全てが響き合っているときなのです。








「積極的空白」をつくる

2013年5月1日




食べ物を盛る食器としての器は、料理を盛りつけておいしそうに観えて
初めて完成になります。
いろいろありますが、私はそのような器が好きです。

私は、着物や帯や、インテリア関係、敷物にもそういう考えで制作
しています。

私は自分が制作する時には

【他のものを受け入れることが出来る “積極的空白” 】

をつくります。

それは柄に隙間をつくるとかそういうことではなく、感覚的なものです。

もちろん、物足りなさが無いように、それ単体でも美しいようにしますが、

その「積極的空白」があるために他の要素がその布作品と密接に関わることが
出来、布とその他のものが(モノ、人、環境)増幅するのです。

ただ観てキレイなもの、技術的に自慢するもの、自分の描きたいものを描く
だけのものには他のものを受け入れる余裕がありません。

添付画像は「なか志まや」さんから拝借しました、私の、全面にロウによる
ムラ染めをした着物と、他社製の織の帯を合わせていただいたものです。
着物も帯も【お互いに引き立て合っています】


ただ足し算で積み重ねて行くのではなく、その積極的空白を持たせることに
よって他要素を巻き込んだ「かけ算」にすることが出来るのです。





NYチェルシーでの展示風景です。

2013年1月5日




’12年12月13日と19日に米国のニューヨークチェルシーで私の額装作品(紙と布)
の個展を開いていただきました。

「12/13日にNYのチェルシーで絵の個展をいたします」

「12/19に追加展示をしていただけることになりました!」

二日とも、人の入りも良く、評判も良かったそうで、いらした方々から次回の
展示会も期待されている、とお聞きして胸を撫で下ろしております。。。
次回展示が可能になりましたら、さらに良いものを制作するつもりです!

展示風景の写真をお送りいただいたのでいくつか。ご紹介させていただきます。。
(13日と19日のものが混じっています)

写っている方々の公開許可はいただいております。。m(_ _)m

上の写真はレセプションパーティの様子です。



こちらは、まだ人が入る前の様子です。
たっぷりと間をとって飾っていただいたお陰で、良い展示空間が出来たと思います。



キュレーターの梁瀬さんと、パートナーでフォトグラファーのジャックさん。
今回の展示会の実務的なことで大変お世話になりました。
ありがとうございました。



お着物の方も。



作品をご覧になられている様子です。。。



紙額「氷壁」の前で、梁瀬さんとART newsの副編集長のBarbara Mac Adamさん。



ギャラリーの全体をなんとなく見渡せる写真です。。。



布額の作品の前で、今回の個展でご尽力下さったSetsuko Bouteilleさんとご友人。。。


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今回、NYで展示を開いていただいて、画像やご感想をいただき、大変参考になりました。

それを糧により一層制作に励みたいと思います。